シータヒーリングを始めたきっかけ
小さい時から不思議な事はたくさんあったけれど、神は1つだとなんとなくわかっていました。
小学校の高学年くらいから相談される事が多くなり、それもなぜなのだろうと不思議に思っていました。
ある時は母が自殺願望のある方の所へ私を連れていき、一生懸命にその方のお話に耳を傾けてなんとなく思った事をお話ししたら、その方は涙を流しながら感謝してくださいました。
後に母から、その方は自殺するのをやめて元気に暮らしてるよと聞かされました。
そんな事もあってか、小学校から大学まで音楽学校で学んでいたのですが、大学では幼児臨床心理学に感銘を受けて、人の心理に興味を持ちました。
だけど、心理学だけでは人を判断できないし、スピリチュアルな観点からだけではなんとなくうさんくさいと思っていて、どちらも学ばず就職して結婚し子育てを楽しんでいました。
長女が5歳の時の保育園の帰り道に長女が私には見えないクリーム色のキツネの赤ちゃんを見たと大騒ぎして、それからスカウトされて芸能活動が始まり…
そして子役の母として同行していく内にプレッシャーや体の疲れが積み重なった長女は見えないものを見たり、理由がわからない体の不調を発症したりという不思議な事がまた起こり始めました。
彼女に起きていることが嘘偽りなく本当の事なんだと理解しながらも、ちゃんとした対処をしてあげられない自分に不甲斐なさを感じて悩んでいました。
そして、彼女の親として同行できる最後の撮影でハワイ島に行きました。
そのお仕事を長女が勝ち取ってくれた時、これは彼女から私へのプレゼントだと思ったものです。
そこで出逢ったスタイリストさんがとてもスピリチュアルな方で長女に起きる不思議な事をどの様に解決すれば良いのか相談したところ、シータヒーリング®︎というものがあるよと教えてもらいました。
よくよくお話を聞くとシータヒーリング®︎はスピリチュアルな側面と哲学や徳、心理も相まっていて私が探してたものはこれだ!と確信し興奮しました。
ハワイ島のなんとも言えない大きなエネルギーを受けながらだったので、今思えば、この時が私の転換期の1つだったのだと思います。
初めは長女を助け支えられるだけの技量を教えてもらえればそれで良いと思ったのですが2017年にシータヒーリング®︎を学び始めて何かに引っ張られる様に資格を取得していき、2019年にはシータヒーリング®︎のマスターの称号をアメリカのモンタナ州にて取得致しました。
今では一番苦手だった掘り下げが得意になり、浄化はお手の物(笑)、体の事は無知だったのにインチュイティブアナトミー(解剖学)というセミナーで教えるのが大好きになりました。
経歴
- 2019年6月 マスターの称号を取得
- 2018年8月 サロンオープン
- 2018年4月 シータヒーリングのインストラクターになる。
- 2017年7月 シータヒーリング®︎を習い始める
- 2015年5月 リンク・セオリー・ジャパン退社
- 2004年2月 Kパック退社
- 2003年5月 yoshie inaba退社
- 2000年3月 日活撮影所退社
- 1998年3月 国立音楽大学幼児教育科卒業
- 1976年3月 東京都国分寺市に生まれる
資格
- マスターの称号取得
- 基礎DNAインストラクター
- 応用DNAインストラクター
- DigDeeperインストラクター
- 豊さと願いの実現インストラクター
- レインボーチルドレンインストラクター
- インチュイティブアナトミーインストラクター
- リレーションシップ1インストラクター
- リレーションシップ2インストラクター
- リレーションシップ3インストラクター
- リレーションシップ4インストラクター
- 基礎DNAプラクティショナー
- 応用DNAプラクティショナー
- DigDeeperプラクティショナー
- 豊さと願いの実現プラクティショナー
- インチュイティブアナトミープラクティショナー
- 存在の層プラクティショナー
- 病気と障害プラクティショナー
- ワールドリレーションズプラクティショナー
- リレーションシップ1プラクティショナー
- リレーションシップ2プラクティショナー
- リレーションシップ3プラクティショナー
- リレーションシップ4プラクティショナー
- ゲームオブライフプラクティショナー
- ソウルメイトプラクティショナー
- ファミリータイズプラクティショナー